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声優論の花澤香菜項についてとりあえず暫定的なツッコミ

 

声優論 アニメを彩る女神たち:島本須美から雨宮天まで

声優論 アニメを彩る女神たち:島本須美から雨宮天まで

 

夏葉薫氏の文章はどれもマストリードなのでそれのために買って損はないです。

と前置きをした上でわたしゃどうしてもこの町口哲生という輩が許せない。

 

一、声優として
一、ニ段落目。
1ページ使ってゼーガで声優の仕事を覚えたので花澤さんにとってゼーガは重要であると書いてある。何に紙幅を消費しているのかといえば作品紹介であり、大沢事務所の松岡超の名前も川澄綾子の名前も無い。紹介としても片手落ちである。LAST EXILEのちょい役にしても無駄に役の長い説明で一行消化しているが、どういう役であったかは書かれていない。

三段落目
魔法遣いに大切なこと~夏のソラ~の作品紹介であり、やはり花澤香菜の特筆性などは一切書かれていない。実際パンを食べて収録したから代表作というのも納得だそうだがなぜ実際パンを食べて収録したから代表作として納得できるのかの論拠が鈴木ソラ=花澤香菜のような形で、彼女の息づかいまで感じられるからだそうだ。そりゃマイクは息づかいまで収録するためにあるのであるし、別に花澤香菜である特筆性はない。この文章に何の意味があるのか。

四段落目
唐突にサブカルポモの偽史開陳がはじまる。
町口によると僕は友達が少ないは10年代のキーワード「残念系」の代表作だそうだ。しかも部活でだらだらするという意味で「空気系」(日常系)にカテゴライズできるらしく、さらのその下部範疇として「残念系」と呼ぶらしい。その理由は美男美女の性格が残念だからだそうだ。
僕は友達が少ないはまともな読者であれば知っての通り、メタダラダラする部活モノ作品かつメタハーレムラブコメの体裁を取りつつある種のマイノリティに対する風当たりに対して反旗を翻す物語であり、また他頁において町口が「セツナ系」などという私のTLにいる百戦錬磨のライトノベル読みの誰も使っているところをみたことがない言葉によって極めて雑なカテゴライズをされている竹宮ゆゆこの作品のフォロワー的な、人と人とのいびつな距離感の機微や時には対立し殴りあう、エモーショナルな側面を強調したラブストーリーである。まともな読者であれば「残念系」という作品に対する惹句が「空気系」あるいは「日常系」などという薄ら寒いサブカルクズが好むカテゴライズからかけ離れたものであることは自明のものとしているだろう、まともな読者であれば。
それでは本段落における花澤香菜の特筆性は何か。小鳩ちゃんを見事に演じた作品に彩りを添えたとしか書いてないのである。何も言っていないに等しい。
小鳩ちゃんとしての花澤香菜であれば、木村良平の圧倒的な兄力の庇護下のひたすら狭い世界で安寧だけを得るその役の解釈の精密さとそこからなお漏れ出る聖性とかいろいろ言うことがあろうものだが。

ニ、メディア論から見た声優
メディア論とかいいながら言葉通り単に他人の論じたことに声優を当てはめているだけで、ここでも花澤香菜はあくまで代替可能な名刺、せいぜい人気声優程度の意味合いが存在していない。別に声優である必然すらないだろう。この項目に関し、個人的見解を言うならヌルい声オタ未満のそこらのアニオタの生体と声優のパフォーマンスの間には何の関係もない。

三、歌姫として
一段落目。何故かいきなりソロアルバムの話からはじまるが、そもそも花澤香菜は北川さんプロデュースのトラックメイカーの顔ばかり見えてくる曲よりも何故か気合入りまくっているキャラソンの方が圧倒的にヤバいともっぱら評判であるのでなぜソロデビュー以前の話をしないのか謎である。恋愛サーキュレーションは付属CDだけでBDの売上を他巻より1万枚積み上げたにも関わらず、だ。ちなみに私が本当にヤバいと思うのはDTB流星の双子のTwinkle real starとアイマスDSのプリコグです。花澤香菜渋谷系といえばプリコグです。
そしてこの段落で書かれていることといえば渋谷系の極めて雑な説明だけである。渋谷系いいたいだけの模様だ。
二段落目。アルバムの豪華プロデュース陣の紹介、楽曲の雑な紹介等である。花澤さんがリラックスして歌っている。だから何。
三段落目。インタビュー記事を引きつつ雑な楽曲紹介の続きである。論とは何か。
四段落目。アルバム25の歌詞の解釈の自説を述べている。言理の妖精語りてじゃなく諸葛亮曰く、ほかに書くことはないのですか。一応凛とした声とか花澤の声は空気のそよぎみたいとかも書いてあるだけマシか。
五段落目。いろいろ書いてあるが本質はロキノソポエムの類。気持ち悪い。

四、再び声優として
一段落目。絶園の左門さんにおける花澤さんは難しい役を見事にこなしたそうです。見事とは極めて具体性に欠く言葉である。何を論じているつもりになっているのか。
二段落目。COPPELIONが震災がどうこうの新しい想像力の作品とか書いてあるがググるのもめんどくさいが私の記憶が確かならばCOPPELIONは震災以前の作品であり、震災と原発事故の影響でアニメの製作だか放送だかが延期された作品であり、内容といえば放射能ミュータントというアメコミなどでおなじみの昔ながらの作品であり、あるいはタルコフスキーのストーカーなどでも描かれる放射能汚染地域の話でありつまりここで書かれていることは単純にサブカルポモお得意の歴史の捏造である。震災以降とか言いたいだけのあの気持ち悪い界隈はクネクネと原発事故麻雀でもしてろ、以外の感想はない。
五段落目、ここまで紙幅を費やしてようやく花澤香菜の特筆性らしきものの記述がはじまるが、実年齢とかけ離れた性格というのはキャラクターの話であって芝居の話ではなく、なぜ配役されるに至るのかという話ではない。そして舌とか口の開け方とかでコントロールして演じたのですごい、という話しらしい。口とか舌を使わず芝居をする声優というのは私は寡聞にして存じませんが。その思いを強くしたのはみんな大好き監視官常森朱ちゃんらしい。そしてそれに異論はないだろう、ということらしい。知らんがな。
六段落目。サイコパスという犬かわいいで皆殺しのしちゃうリベリオンみたいなB級多重人格探偵サイコのパロディアニメの解説。常森ちゃんの声をしっかりあてたらしい。知らんがな。ちなみにサイコパス2は大塚英志原作衣谷遊作画の漫画リヴァイアサンのパロディアニメです。

以上、この文章はポモ特有のオタク文化史に対する犯罪的捏造と、別に花澤さんでなくてもいいメディア論と、花澤さんのお仕事の解説だけである。何をもってこれを花澤香菜論としたのかまるでわからない。声オタがTwitterで発している花澤さんにのパフォーマンスに対する賛美でももう少し花澤香菜という声優の特筆性について意味のあることを言っているだろう。